愛知赤津焼、利山窯さんについて

なかなか利山窯さんについて書く気になれず、今日まで何のお知らせもなくファンのお客様には、本当に申し訳ない思いです。
もう一年近くになりますが昨年の秋、利山窯の小林健治さんがこの世を去られました。

奥様にとっても突然のことだったようで、長年透析を続けられていたとはいえ元気な声とお姿でしたので大変驚きました。
小林さんの器は、瀬戸や品野などを廻っていた時にたまたま見る機会があり、赤津は主に茶道具やお茶事の流れなので民芸の世界とは違いますが、それでも線描きとコマ描きを中心につくられている様子に打たれ、取り扱いさせてもらうことに。

お電話と何度かお邪魔したことがあるだけですし、短いおつきあいにはなるのですが、いつも私の初歩的な質問にも丁寧に答えてくれ、「〜じゃからよおぅ」という訛り?も心地よく・・・
私の記憶違いでなければ、戦後は赤津で登り窯を使うことが難しく、石炭の窯を使用。その当時はどの煙突からも黒煙が出ていたため、洗濯物は外へ干せないし、地域の子どもたちは雀は黒い鳥だと思っていたんだとか。
その後は、電気やガスの窯を使うことになったそうです。
また、地域の地層からとれる鉱物(鉄)の塊である鬼板もみせて頂きました。
砕いて水に溶かし、そのまま絵つけに使います。
そんな話しもとても興味深かったです。

私がはじめてお会いした時には、すでに腕は透析のこぶでボコボコになっていましたが、ロクロや高台裏を削るときは、すごいスピードで。絵つけは丁寧に。
話していても手を休めることはありませんでした。
奥様も絵つけをされていましたし、二人三脚で器づくりをされていらっしゃいました。

しばらくは何も手がつかない・・・と奥様はおっしゃっていましたが、無理もありません・・・。
窯は閉められるとのことで本当に残念で、もうあの仕事場にいらっしゃらないのかと思うとさみしい思いがこみ上げてきます。
作業に真面目で、研究熱心で、ユーモアのある・・・
ありがとうございました、、、月並みな感謝の言葉しか思いつきません。

 

 

 

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赤津 利山窯さん つづき

利山窯の奥様も、絵つけをなさっていらっしゃいました。
毛足の長い筆です。
ちょうどサビ十草をの線描きをされているところ。
写真のような丸みのある形に描くのは、特にやりずらいんだとか、、、

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赤津焼 鬼板

利山窯の小林さんが、よく使われる銹(さび)又は鉄と呼んでいらっしゃる材料”鬼板”見せて下さいました。
( 瀬戸地方では、一般的な呼び方だと本にありました。志野焼にも使われるそうです)
砕いて、すりつぶし粉状にして水に溶かして使います。
とてもシンプルな顔料ですね!
小林さんは「錆びた釘とかでも、いけるんと違うかな〜」とおっしゃっていました。

利山窯のさび十草模様も、この材料でつくられた顔料を使っています。
近郊の山の断面の層から産出されるものだそうで、鉄が固まったような板状のもの。
山あいにも家が建つようになってきたため、どんどん切り出すのが難しくなってきているそうです。
自然の顔料なので、色を薄くしてもとてもきれいな茶色っぽいグレーが出ます。

うつわの口回りに縁どりがあるものを、口銹とよんだりします。
これがあるとないのとでは、印象はかなり違います。

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赤津 利山窯さん

そば猪口をつくって頂こうと、利山窯の小林さんを訪ねました。

縞や線描きの得意な方ですが、今回高台を削られている様子を拝見。
早くきれいにシャープに仕上げていく様子は、啞然とするばかり…..
形に対するこだわりは、(自分の頭を指差して)ここのコンピューターでね…とのこと。

どんなそば猪口になるかは、お楽しみに!
何度か試作を重ねます。

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線の美しさ つづき

利山窯のご主人は、職人という言葉がぴったりの方です。
線描きは簡単なように見えますが、経験と集中力のいる仕事だと思います。
使う筆は毛の長いもので、腰が強いものが使いやすいそうです。

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線の美しさ

線描きのすっきりとしたうつわを使うと、なぜだかこちらの気分もさっぱりします。
縦の線でまとまったものを、十草や麦藁手と呼んだり、
横の線のものは、コマ(独楽)と呼んだりします。
江戸時代には、特によく使われていたそうです。

コマ描きは、ロクロを廻すことで早く描くことができますが、
十草は一本一本描かねばなりません。
どちらも簡単そうですが、経験によるものとか・・・

瀬戸赤津焼の利山窯さんが、今も多く造っているのを前回瀬戸を訪れた際に知り、オ!とうれしくなりました。
ショップでも紹介致しますね。

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瀬戸の土 つづき

瀬戸では、登り窯で焼くことを昭和40年代末に終えられたとのこと。
残念なことではありますが、こちらで使用していた登り窯を見せて頂くと三口の奥が四口だったかな?、たいへん大きなものです。かつて生活用品から瓶や鉢などの台所用品にいたるまで陶製だった頃は、大きなものが大量に造られていたので必然的に大きな窯が必要でしたが、食器等の小物が多い現在は、それだけの量を一度に焼くことが難しいそうです。
窯元さん共同で、復活できないかな・・・

その後の歴史がすでに40年近くあるわけで・・・使われていた陶板などを使い美しい外壁が町のあちこちに見えました。
何度も焼かれたモノなので、色にも深みがあり独特の雰囲気。
何度も焼くと強くなったりするのでしょうか??今度聞いてみたいです。
この方法はかなり古くから行なわれていたそうで、素敵な再利用ですね。

私は食器を主にさがしにいくわけですが、瀬戸の産地としての産業は、もちろんそれだけではありません。
タイルやトイレなどの水回り、かつては水道管、陶製のお人形や置物・・・
高度成長期の都市や住宅をどれだけか支えてきたことでしょう。
食器はその中の一部ですね。
それぞれに適した土があるのでしょうか。
これだけ多岐にわたって製品を供給してこれたのは、使いやすい土の特性があるのかもしれませんね。

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